雪氷のくらしと体力

須田 力(雪氷ネットワーク)

「体育」の「スポーツ」化への疑問
 私は、雪氷ネットワークの会員ですが、高等学校、大学と39年間体育教師でした。退職後の現在も日本体育学会(旧称)、日本体力医学会の名ばかりの会員ですが、日本雪氷学会、日本雪工学会との縁の方が強くなってしまいました。
 私が所属している「日本体育学会」は、「日本体育スポーツ健康学会」に、「国民体育大会」が「国民スポーツ大会」、名称変更の流れに伴い地域の「○○市体育協会」も「○○市スポーツ協会」、「体育の日」がいつの間にか「スポーツの日」と、すっかり体育のスポーツ化が進んでしまいました。
 私の体育離れ、スポーツ離れは、このような体育のスポーツ化によって家事労働、体力が要求される労働、災害時の助け合いなど、人と人との共生の中で欠かせない身体活動の価値が無視されつつあることにあります。
 学力が、個人の物欲や支配欲を実現するための所有物ではないと同様、体力も自分の優越感を満足させたりスポーツを楽しむだけの資質ではないと思います。ましてや他者を威圧したり支配するための手段であってはならないと思います。にもかかわらず、体力の評価は体力テストの点数を序列化し比較する視点が当たり前となっております。体力がいじめの手段や暴力に悪用されていないか、他者の安全や地域の福利向上に役立てられている効果はないのか、そんな視点も大事にしたいと考えております。。
 そんな疑問を抱きながら、私が出会った研究者がこの雪氷ネットワークのホームページで“雪に恋した、82歳の研究者”として紹介されている秋田谷英次先生でした。なぜ体育の私が専門のかけ離れた雪氷科学に惹かれたかの経緯については、他の機会で説明したいと思います。

体育の授業で除雪ボランティア参加へ呼びかけ
 私は、在任中の体育の授業で「トレーニング」というコースを担当しておりました。バーベルやマシーンを使った筋力トレーニングやランニングによる有酸素トレーニングの原理を教える中で、高められた体力が個々人の健康づくりやスポーツパフォーマンスの向上だけでなく、人と人との共生や生存を支える活動に生かす体験が必要ではないかと考えておりました。冬のある日、豪雪高齢化で旧産炭地の「美流渡(みると)」という地域で除雪が困難な人のために除雪ボランティアとして体力を生かしてみませんか」という呼びかけを、以下の条件で行ってみました。
(1)実施日は休日、体育の授業の出席数、評価とは無関係とする。
(2)交通費と昼食は須田が負担する。
(3)作業は無償。
(4)除雪経験のない者でもOK。

民生委員Rさんからの学び
 約30名の授業の受講者のうち、「参加します」と手を挙げたのは6名でしたが、当日札幌駅の待ち合わせに来たのは2名でした。二人とも雪かき経験は皆無、男子学生Kさんは兵庫県出身、女子学生のYさんは宮崎県出身で共に雪かき経験皆無、どころか、Yさんはミニスカートとハイヒールという驚きのいでたちでした。

写真上:除雪ボランティアの対象となった岩見沢市(当時栗沢町)美流渡地区の平屋の家屋。

 

写真下:作業後の姿。左が民生委員のRさん。除雪ボランティアに参加した北大生のK君(中央)とYさん(右)。

 写真下では、Yさんは赤のヤッケの作業服姿ですが、作業開始時はミニスカート、ハイヒールで溌剌として作業をこなしていたのには驚かされました。作業途中でRさんの奥様から提供された作業着とブーツに着替えた後の姿です。
 この除雪ボランティアを世話していただいた地区の民生委員で元炭鉱マンのRさんと私の二人で入院中の高齢者宅の平屋の屋根の雪下ろし、学生二人が降ろした雪をスノーダンプで集積場まで運ぶ作業を約1時間半で終えました。二人とも初めての雪かきにも疲れも見せず生き生きはつらつとして作業をやりとげました。
 作業終了後、Rさんのお宅で昼食にラーメンをご馳走になりながら話を聞きました。実はRさんは心臓に異常があって心臓にペースメーカーを装着し北大病院に通院中、医者からは雪かきは絶対にやってはいけないという身でした。
 講義、ゼミ、体育では通用しない常識を現場で学んだKさん(実名を明かすと小西信義さん)は、この雪かき体験がきっかけとなって学部、大学院を通してこの美流渡地区をフィールドにした文化人類学的な研究に志し、博士の学位を取得、現在北海道開発技術センターで地域課題の解決の仕事に取り組み、雪氷学会、雪工学会で活躍中です。小西さんの凄いところは、在学中冬季間美流渡に一軒家を借りて住み込み、地域の仲間とともに独居高齢宅を支援する活動を通して雪かきのノウハウを身に着け、酒を酌み交わして語り合いから豪雪高齢化地域の住民の抱えている問題解決に体当たりで取り組んだ文化人類学の研究姿勢です。
 美流渡訪問の7年後、衝撃的な事故が起きました。心臓の治療を受けながら命がけで地域を支えてきたRさんが小西さんたち仲間と屋根の雪下ろし作業中、落雪に巻き込まれその日の夕方治療のかいなく78歳で命を絶たれたことを伝えられました。この事故の経緯は、小西さんも著者のひとりである「雪かきで地域が育つ」5)に記されております。

雪かきは健康づくりの運動には含まれないか?
 著名な運動生理学者のカルボビッチ博士1)、オストランド博士2)、運動医学のフランクリン博士3)などにより、雪かきは上肢筋群が動員され、等尺性筋収縮も伴う心拍数の増加、血圧の上昇を来たすタイプの運動であること、湿った重い雪は心疾患者には要注意と指摘されております。北海道においては、旭川保健所のグループ4)が、降雪期に高齢者の心疾患救急搬送数が増加する要因として雪かきの影響を指摘しております。
 一方、呼吸循環機能に問題のない子どもや若い人たちにとっては、安全に配慮し無理のない範囲で実行される雪かきは、寒さに負けない体温調節能力を向上させ、持久力、筋力を高めるとともに雪国で生活するために最も必要な生活体力獲得の運動と私は考えます。 
 現在の保健体育の教科書では、「健康づくりのための運動」は、「①安全であること、②効果があること、③楽しいこと、の三つの条件を満たすことが必要です」6)と記述されております。運動の指針として、「持久力を高める運動」として「ウォーキング、ジョッギング、水泳,走動作を含むスポーツ」、「筋力を高める運動」として「筋力トレーニング」、「柔軟性を高める運動」として「ストレッチング」が例示されております。体育館やグランドで教えられる運動ばかりです。
 豪雪地の子どもが、ドカ雪の時に家の雪かきの手伝障がい者や虚弱者宅を除雪する「運動」は、「安全性」が危惧され、「効果」は確かめにくく、「楽しさ」もスポーツの楽しさとは違います。雪かきは体育の教材とはなりえないのでしょうか?体育の先生方のご意見をお寄せいただければ幸いです。

参考・引用文献
1)Karpovich, P.V. and Sinning, W. E.: Physiology of Muscular Activity. 7th eds. W. B. Saunders, 1971, pp.138-140.
2)Åstrand, P-O. and Rodahl K.: Textbook of Work Physiology. Third ed. McGraw-Hill, p.192-194, 1986.
3)Franklin, et al.: Cardiac Demands of Heavy Snow Shoveling. JAMA, Vol. 273 No.11: 880-882, 1995.
4) 山下麻子・沢口喜代美・熊田祐香ほか:血管系疾患発症の季節性2 ~降雪と高齢者の心疾患救急搬送から雪かきの影響を考える~, 第54回北海道公衆衛生学会2002年抄録集.p.115, 2003.
5) 上村靖司・筒井一伸・沼野夏生・小西信義: 雪かきで地域が育つ, p.80-81, コモンズ, 2018年1月.
6) 森昭三・佐伯年詩雄ほか30名:新・中学保健体育. 学研, p.88-89, 平成31年1月20日発行.